劣等感は社会的コストである!

劣等感は厄介である
知識だったり経験だったりお金だったり健康だったりする「それ」を持っていないという思いを
一生頭の隅に負のものとして抱えるからだ


劣等感は「それ」を持っている人との相対で生まれる
「それ」を持っている人が目の前に現れると
劣等感が生まれる
知識や経験やお金や健康を持っていることを自慢して
他人に劣等感を与えた人が
「それ」をより多く持っている人の前に立ったとき
その人にも劣等感が生まれる


一方で他人を評価する指標は唯一つ
その人が成した社会的価値だけである
他人が社会的に価値のあることを成したとき
その人に対する称賛の気持ちは生まれるが
劣等感は生まれない


知識や経験やお金や健康を持っているということが
それだけで社会的価値になることはない
それらの能力が生かされて社会に価値をもたらしたとき
はじめて人は社会的評価の対象になるのだ


さらには知識や経験やお金や健康というものは
単に「それ」を持つ人の人生における安全率を高めるだけのものであり
社会的価値を生み出せる可能性を高めるものですらないのだ
「それ」を持たない多くの人間がこのことを証明している


劣等感や優越感は社会的には無価値であり
それが社会に歪みを与えているとすれば社会的コストでもある
社会における人生の安全率が低下すると
持つ者の優越感が蔓延して社会的コストが大きくなる


故に政治は市民の人生における安全率を高めるよう努めなければならないし
個人は劣等感が無価値であることを悟って
社会的価値の創造に気持ちを振り向けるほうがいい