みんなでビデオゲームのはじまりを見よう!
本日MOTHER3発売でみなさん、それどころではないでしょうが.....
Google Videoにポストされているディスカバリーチャンネルの番組「Early History of Video Games」を見たぞ(Google Blogoscoped経由)。
アメリカにおけるビデオゲームの初期。前半はアタリ社、後半(26分頃〜)は任天堂だ。中国語字幕の付いた英語版だが雰囲気だけでも味わってくれ。
アタリの最初の成功はアーケード型のポン(Pong、1972年)だ。ポンをバーに置いたら直ぐに壊れたとクレームが来た。行ってみたらコインボックスがコインで一杯でそれが故障の原因だった。みんな需要の大きさにびっくりした。
任天堂の最初の成功はアーケード型のドンキーコング(1981年)だ。日本で成功したアーケード型のレーダースコープというゲームを10年前のアタリと同じようにバーに置いた。しかしアメリカでは人気がなかった。そこで宮本茂に白羽の矢が立った。宮本はゲームにも映画のようなストーリーがあっていいと考え、そのようなストーリーを持ったゲーム「ドンキーコング」を開発した。これが米国で見事に当たった。同じようにコインボックスがコインで溢れた。
任天堂は1985年に入って米国版ファミリーコンピュータ「Nintendo Entertainment System:NES」の発売を開始する。周囲はみんな"クレイジー”といった。しかし任天堂には秘密兵器があった。またも宮本氏による「スーパーマリオブラザーズ」だ。ドンキーコングに登場していたジャンプマンがマリオとして生まれ変わったのだ。2年後、マリオはアメリカの子供たちにとってミッキーマウスよりも身近な存在になった。
1987年、宮本はまたも新たな傑作を世に出した。ゼルダだ。ゼルダには宮本が子供の頃に裏山で遊んで経験したことがたくさん詰め込まれている。
任天堂から次にリリースされたゲームボーイは、ロシア人研究者のアレクシー・パジノフ(Alexey Pajitnov)とオランダ人ゲームパブリッシャーのヘンク・ロジャース(Henk Rogers)によって大成功を収める。1984年に人工知能と音声認識技術を研究していたパジノフは、新しいコンピュータの動作試験のためにビデオゲームを作った。それがテトリスだ。ラスベガスの展示会でテトリスに出会ったロジャースは、日本でテトリスをゲームボーイ用ソフトとして発売するために奔走する。テトリスは1988年に発売されその後大成功を収める。
4月27日はテトリスDSの発売だ。
5月25日はNew スーパーマリオブラザーズの発売だ。
20年経っても同じ形で生きていけるもの。そんな普遍なものにほんとうの価値を見るのだ。宮本茂。アレクシー・パジノフ。僕は彼らに最大の敬意を表します。
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