常識と社会

常識とは社会のコンセンサスのことであり
正しさとは関係がない
此処での常識は向こうでの常識とはならない
今日の常識は明日の常識足り得ない
常識は寧ろ
恐怖から来る変化への抵抗である


非常識は時として社会に利益を与える
それは当然に起こりうることだ
社会はそれを何度も何度も経験しているのに
それを受け入れることができない
なぜなら常識は社会のコンセンサスだからだ
民主主義における致命的な欠陥がここにあるのだろう


一方で資本主義における企業の源泉は差異である
つまり起業家による超常識への挑戦が資本主義を形成する
非常識が社会に利益を与えるなら
個によるリーダーシップが社会には必要であろう
それは民主主義の先の欠点を補完し得る


これからの社会つまり情報化社会は
リーダーと民衆との間の新たなパワーバランスを模索している
それは危ういものにも見える
しかしそれも明日には昨日の常識となるのだろうか
そう信じるのがきっと正しい選択なのだろう